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千石佳愛

フランス在住/マーケティングコンサルタント

慶應義塾大学文学部フランス文学専攻卒。フランスにて国際経営学修士号取得。 WSET ADVANCED。ワイナリー勤務を経て、現在、ヨーロッパにおける ワイン&スピリッツのアンバサダーを務める傍ら、インターナショナル プロモーションのコンサルを手掛ける。

2023.06.02
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フランス無形文化遺産、アルマニャックの造り手を訪ねて(前編)

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2010年に700周年を迎えたフランスでもっとも古いブランデーであるアルマニャックが、21年、フランス文化省により国の無形文化遺産(Le patrimoine culturel immatériel)の一部として登録された。

アルマニャックに関する最初の記述は14世紀初頭にさかのぼる。ガスコーニュ地方のオーズ司祭であったヴィタリ・デュフールは、著書『Pour garder la santé et rester en bonne forme(健康であり続けるために)』の中で、ブランデーの40の美徳を記しており、アルマニャックの歴史はフランス美食の遺産にも通じている。

だが、大手生産者の製品が国際市場を席巻する弟分のコニャックに比べ、先祖代々の伝統を受け継ぐ小規模生産者が多いアルマニャックは、これまでフランス人のお気に入りとしてほぼ国内消費にとどまってきた。今回の無形文化遺産登録で注目を浴び、とくに輸出の面で恩恵がありそうだ。

冬の間の蒸留を終え、静かに春を待つアルマニャック地方を訪れた。

■憧憬の地、アルマニャック

3つの県(Gers、Landes、Lot-et-Garonne)を拠点とする、フランス南西部アルマニャック地方は、フランス国内でもアレクサンドル・デュマによる不朽の名作『三銃士』の主人公ダルタニャンの出身地でもあり、観光地としても広く知られる。ローマ人がブドウの木を、アラブ人が蒸留技術を、ケルト人が樽を導入し、この3つの文化が交わってアルマニャックは生まれたと言われるが、この地に立ち、さまざまな時代の遺跡の存在を目の当たりにすると、戦略岐路に立たされてきた歴史を肌で感じることができる。

ローマ時代にさかのぼるブドウ栽培だが、1870年にはフィロキセラ禍(※)に見舞われる。10万ヘクタールあったブドウの木のうち、植え替えられたのはわずか4分の1にとどまった。現在は、2万ヘクタールあまりがAOC原産地呼称統制法下に管理され、テロワールにより、バ・アルマニャック地区(Bas-Armagnac)、アルマニャック・テナレーズ地区(Armagnac Ténarèze)、オー・アルマニャック地区(Haut-Armagnac)に区分される。

※フィロキセラ禍:1860年から80年にかけて、品種の掛け合わせのため輸入されたアメリカ産ブドウ樹に付着していたフィロキセラというアブラムシが、ブドウ根にコブを生成しブドウ樹の生育を阻害し、ヨーロッパのブドウ畑が壊滅的な被害を受けた。

アルマニャック産地地図。出典:国立アルマニャック委員会(BNIA)


地図で見るとブドウの葉の形のようにも見えるアルマニャック。今回訪問したオー・アルマニャックとバ・アルマニャックの特徴を見てみよう。

■アルマニャック・ブラン

(左)白亜の城塞都市レクトゥールの街並。
(右)サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼路を示すサン・ジャック(ホタテ)のマーク。

南部から東部に広がるオー・アルマニャック地区は、石灰岩と粘土石灰岩の白い母岩が特徴的でアルマニャック・ブランとも呼ばれる。良質なアルマニャックを産出していたのだが、フィロキセラ禍以降、プラムやトウモロコシなどの農作に移行した土地が多く、ブドウ栽培文化が衰退してしまった。現在、このエリアには10軒ほどのドメーヌしかなく(バ・アルマニャック地区は200軒)、AOCアルマニャック全生産量の2%、販売金額の5%を占めるにすぎない小さな産地だ。

列車でパリからボルドーを南に抜け、トゥールーズの手前の駅アジャンに到着後、まずは城塞都市レクトゥールに向かう。

古くはガロ・ローマ時代にさかのぼる歴史をもち、アルマニャック伯爵の居城であったこの町は、いまも城壁をもつ岩山の上からジェール県を見下ろしている。中世の大聖堂をはじめ、考古学博物館、ブロカント、温泉施設、そしてサンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼路のほか、フォアグラ、カモ、プラム、メロンなど多くの美味があり、一年を通して、数多くの文化的、祝祭的なイベントで彩られている。

このレクトゥールから数キロ離れた小高い丘の上に、我々はオー・アルマニャックの歴史的ドメーヌを見つけた。

■オー・アルマニャックのオートクチュール「ラロッシュ・ヴァキエ」

白亜の城塞都市レクトゥールに対峙する、ラロッシュ・ヴァキエのブドウ畑。

ラロッシュ・ヴァキエの所有する畑は、ガロ・ローマ時代からブドウの木を植えていたという歴史をもち、フランスで最初のワイン生産者のひとつとなっている。百年戦争の終わりまでフランス国王の食卓に供給されていたという。現在ドメーヌの当主を務めるブルーノ・コンパニョン氏は、19世紀後半のフィロキセラ禍以降、市場から姿を消していたオー・アルマニャックを復活させるべく、1000年にわたる伝統を受け継いでいくことを決意。1986年からラロッシュ・ヴァキエの畑の再植に着手し、1997年にはその功績により農事功労騎士に任命される。

2008年、完全に有機農法へと移行、11年にはソーラーパネルを導入してドメーヌはエネルギー的に自立。現在、所有する30ヘクタールのブドウ畑では、ワイン用にコロンバール、ソーヴィニヨン・ブラン、グロ・マンサン、そしてメルロ、タナ、マルベック、ガメイ、ピノ・ノワール、シラーを、アルマニャック用には、ユニ・ブランとバコ(耐病性のあるハイブリッド種)を栽培。丘の上部のふたつの異なる区画から、最高品質のブドウのみを選抜し、ほかのブドウはすべて売りに出す。

80〜100hℓ/haの高収量で栽培することで、総酸量が豊富でアルコールと揮発性酸の低い高品質の蒸留用ブドウに仕上げ、その蒸留酒を年に2樽ほど熟成させる。無調整、無濾過のヴィンテージ・アルマニャックは、受注時に1本ずつ手作業でナンバリングを施し瓶詰するという、オートクチュール生産だ。

ラロッシュ・ヴァキエのシングルカスクが静かに眠るセラー(左)と、ブドウ畑の石灰岩

ブルーノ氏の長男でマネージング・ディレクターを務めるモルゴン氏の案内で、およそ100樽が眠るセラーから、1992、1993、1997、1998、1999、2000のヴィンテージの樽試飲をした。ブリュット・ド・フュと呼ばれる、無調整、無濾過のヴィンテージ・アルマニャックのシングルカスクは、自然な熟成度合いで各々が美しい個性を放つ。黄金色に輝く琥珀色の、白い花やバラ、青リンゴやアプリコット、キャラメル、アカシアのハチミツ、アールグレイやルイボス茶、ヘーゼルナッツや白コショウ、カンゾウなど、唯一無二のテロワールの完璧さを凌ぐ様な、驚くべき広大なアロマパレットが展開する。

「最高のアルマニャックは、最高のベースワインからしか生まれない」。

肥沃なテロワールを最大限生かしたワイン造りに貢献し、ブドウ栽培の自然の延長であるヴィンテージ・アルマニャックのみにこだわる、当主ブルーノ氏の言葉に納得する。

■ホワイトハウスに捧げられたヴィンテージ1999

この特別な1樽は、2005年にホワイトハウスのジョージ・W・ブッシュ大統領にも贈られた。ホワイトハウスでのサービス用に特別に瓶詰めされた唯一のモダンなアルマニャックであるという点で、歴史的にも珍しいもので、セラーには現在1樽しか残っていない。ほかのラロッシュ・ヴァキエのアルマニャック同様、ユニ・ブラン種100%で蒸留、セシル産の新樽で熟成され秀逸な芳香を放つ。この歴史を重ねたセラー内では、それぞれのシングルカスクが、静かに次の最高峰オートクチュール・アルマニャックとなる舞台を待ち受けている様だ。

現在、1990年代ヴィンテージがオンリスト。価格帯は1本950〜1200ユーロ。

蔵では現在、広大な敷地内に、世界からのアルマニャックファンを迎え入れるための施設を建設中とのことで、閉ざされていたフランス文化の扉がまたひとつ開かれるのが楽しみだ。