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立花峰夫

日本在住/ワインライター/翻訳者

ワイン専門翻訳・執筆サービス、タチバナ・ペール・エ・フィス代表。欧米ワイン本の出版翻訳、ワイン専門誌への記事執筆を精力的に行う。翻訳書(共訳含む)に『ほんとうのワイン』パトリック・マシューズ著、『アンリ・ジャイエのワイン造り』ジャッキー・リゴー著、『シャンパン 泡の科学』ジェラール・リジェ=ベレール著、『ブルゴーニュワイン大全』ジャスパー・モリス著、『最高のワインを買い付ける』カーミット・リンチ著などがある。

2020.09.09
column

リトライ&ハーシュ、ソノマの新潮流ピノ・ノワール二大生産者ビッグ対談!

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新型コロナウィルス禍のために、醸造家が外に出てのプロモーションを行えないようになってからはや半年。かわりに、オンラインでのセミナーや対談、鼎談などがとても盛んに行われるようになった。造り手の声に生で触れるのとはやはり違っているものの、お茶の間から海外のイベントにアクセスできるという気軽さはありがたい。時差の関係で、ライブ配信を見ようとすると日本の深夜や早朝になることも多いが、たいていのプログラムは後日録画が動画配信サイトにアップされるので、好きなときに視聴できるというメリットもある。

本稿でご紹介するのは6月4日に行われた、カリフォルニア州ソノマ郡で目の覚めるようなピノ・ノワールとシャルドネを造る、ふたりの生産者の対談である。リトライ・ワインズのテッド・レモン(写真左)と、ハーシュ・ヴィンヤーズのデイヴィッド・ハーシュ(同右)。そう、ワイナート99号のカリフォルニア産ピノ・ノワール特集の、冒頭を飾った2生産者だ。

 

リトライの単一畑産ピノ・ノワール2種。土地の個性がくっきり(写真左)。72エーカーのハーシュの畑からは、区画別のピノが生まれる(同右)。写真は、ワイナート99号より。 © Bungo Kimura

 

両生産者の詳細については99号の記事をご参照いただきたいが、簡単に要点を述べると、リトライはブルゴーニュで研鑽を積んだ栽培醸造家のテッド・レモンが、1993年に創設した蔵。ソノマ・コースト地区とアンダーソン・ヴァレー地区の単一畑産ピノ・ノワール、シャルドネを用い、洗練とフィネスの極みのような長期熟成型のワインを生産している。一部、自園のブドウも使うが、大半は信頼のおける栽培家との長期契約によって手に入れる果実であり、そのうちのひとりがデイヴィッド・ハーシュなのだ。ハーシュ・ヴィンヤーズは、1980年に植樹されたソノマ郡最北部の山岳地に開かれたブドウ畑で、海まで5キロと近接しているうえに標高が高いため、大変に冷涼なのがその特徴である。かつてはリトライを含む、30を超えるワイナリーにその果実を供給していたが、2002年以降は自社生産へとシフトし(こちらもすこぶる高品質)、現在では供給先のワイナリー数は5まで減った。リトライは、その5社の中に今も残っている。

デイヴィッド・ハーシュとテッド・レモンでは、ハーシュのほうが2世代ほど上ではあるものの、1994年以来の長きにわたる密な付き合いで、ふたりとも東海岸ニューヨーク州の出身、大学時代には文学を学んだという共通点もあるせいか、とても仲良しだ。1時間におよぶその対談では、アメリカ文学についての話題など、ワインと直接関係がない事柄もあれこれ飛び出してきて、気の置けない仲間どうしの世間話をのぞき見しているようで楽しい。

ここでは、ハーシュ・ヴィンヤーズの草創期がどんなものだったか、そしてテッド・レモンがハーシュのブドウを使うことになった成り行きについて、ふたりの対話を日本語にすることでご紹介していこう。英語のみにはなるが、対話のすべてを視聴したい方は、以下のURLからどうぞ!

 

 

ハーシュ・ヴィンヤーズの開園

テッド・レモン(以下、T) はじめてその土地に足を運んだのはいつ?

デイヴィッド・ハーシュ(以下、D) 1977年だな。土地を購入したのが78年5月だから、今年で22周年ということになる。ブドウを植えるうんと前、まずこの土地を目にして感じたのは、美しい環境が汚されているということだった。ソノマ郡のこの地域では、木材の伐採が長年規制されてなくて、土地が荒れていたんだ。加えて、100年前からは羊の放牧が始まっていた。だから私は、直感で「この土地を癒やしてやらないといけない」と感じたわけだ。これは冗談でもなんでもないんだが、うちの家族は200年かけて、その癒やしのプロセスを遂行していくことにした。失われたセコイアの豊かな森を取り戻そうと。一代でできることじゃないからね。

T そのあと、ジム・ボールガールという人物の言葉がきっかけとなって、ブドウを植えることになったと何度か聞いているけれど、いったいどんな人で、なぜその土地で世界クラスのピノ・ノワールが生産できると知っていたんだろうか?

D ジムはとてもエネルギッシュな人で、サンタ・クルーズ・マウンテンズ地区でのブドウ栽培を今の水準にもっていった功績のある数名の人物のうちのひとりさ。サンタ・クルーズの町に私が暮らしていたときの友人でね。ここにやってきてくれたのは1980年で、羊の牧草地をふたりで散歩したんだ。そうしたら、「ここにピノ・ノワールを植えるといい。世界クラスのブドウ畑になるから」とジムが言ったのさ。何年もあとになってからジムに、「なんでそうなるとわかったんだ」と尋ねたことがあるんだが、答えはなかったよ。ただそう思ったみたいでね。

T 最初のころ、ブドウの買い手はどうやって見つけていたの?

D 誰だったかが、ケンダル・ジャクソン傘下のストーンストリート・ワインズに紹介してくれたんだ。あと、もう廃業してしまったが、隣の土地にシーリッジというワイナリーがあって、そこにも果実を売っていたよ。1994年に、テッドとバート・ウィリアムズ(ウィリアムズ・セリエムの創業醸造家)、スティーヴ・キスラー(カリフォルニア産シャルドネの王、キスラー・ヴィンヤーズの創業醸造家)がやってくるまでは、ほぼそんな感じだったかな。

 

ハーシュ・ヴィンヤーズの第16区画。向こうに太平洋が見える。

 

リトライ・ハーシュ・ピノの誕生:1994

T なぜその3人がデイヴィッドのところに現れることになったか、背景を少し話しておこう。1980年代の末から、シャルドネとピノ・ノワールに熱心な造り手たちがナパ郡カリストガのオール・シーズンズ・ビストロに集まって、テイスティングを繰り返していたんだ。デイヴィッド・レイミー、トニー・ソーター、ヘレン・ターリー、スティーヴ・キスラー、バート・ウィリアムズ、クリス・ハウエルなんかがメンバーだった。試飲はブラインドで、世界中のワインを試したよ。ジョン・ウェットローファー(ヘレン・ターリーの夫の栽培家)が、あれこれ段取りをしてくれてね。

その頃にはまだ、ソノマ・コースト地区にはピノ・ノワールがほとんど植わっていなかったんだけれど、数少ない例外のひとつにスーマ・ヴィンヤードがあってね。オキシデンタルの町の西にある畑さ。バート・ウィリアムズが仕込んだ、ウィリアムズ・セリエムのスーマ・ピノ・ノワールの1988を、そのグループで試飲したんだよ。とても感銘を受けてね。オレゴンや、セントラル・コースト地区のピノ・ノワールなんかも試したあとだったけれど、このワインがきっかけで、ソノマ・コースト地区に集中したいと思うようになった。

それで、バートにソノマ・コーストのブドウが手に入らないかと相談することにしたんだ。バートはいい人だったけれど、よそよそしく振る舞うところもあったじゃないか。私はバートよりうんと若かったし、すでに功成り名を遂げた有名醸造家だった彼に何かを頼むなんて、とても厚かましいことに思えた。でも、意を決して電話をして、「すみません、ソノマ・コーストのブドウを手に入れたくて、ちょっと力を借りたいんですが」と話したんだよ。1993年の12月だった。そうしたら、1994年の1月にバートが連絡してきてくれて、「デイヴィッド・ハーシュに会うといい。最近彼としゃべったところなんだが、ピノ・ノワールを植えているから」と勧めてくれたんだ。あれはいい経験だったな。

そんなわけで、あなたの前にバート、スティーヴ・キスラー、私の3人が姿を見せることになった。あなたの前で、井戸端会議をしていた感じだったよね。なんともすごい状況だった。

D ああ、たしかにその後のことを考えると、あれはたいした日だったな。去年亡くなったバートには、お悔やみをここで言っておきたい。後日、バートは1988のスーマを飲ませてくれたけれど、土地の個性が壮大に表現されていて、この地域の潜在的可能性を見せてくれたワインだったよ。ともかく、テッドたちが来てくれた時点で、40エーカーほどを栽培していて、そのほとんどについては販売契約を結んでいたんだが、3人が来てくれたあと、ブドウを分けることになった。本当かと思うかもしれないけれど、大口顧客だったケンダール・ジャクソンの弁護士が、契約違反だ、訴えるぞって言ってきたんだよ、その時には。幸い、なんとか逃れられたけどね。ともあれ、私にとってもいい経験だったさ。今日、ここに1995のリトライ・ハーシュ・ピノがあって飲んでいるわけだけれども、25年経ったあとも、素晴らしく熟成しているな。このワインに使われたブドウは・・・・・・。

***

ふたりの対話はまだまだ続いていくのだが、本稿ではこのへんで。しかし、80年代末のカリストガに集まっていた生産者勉強会の顔ぶれが豪華なこと! まさにオールスターキャストである。また、今ではすっかり大御所になっているテッド・レモンが、リトライを立ち上げたばかりの若かりし頃、大先輩のバート・ウィリアムズに遠慮するくだりはとてもリアルで興味深い。

なお、会話中に登場するウィリアムズ・セリエムのスーマ・ピノは、カリフォルニア産のピノ・ノワールとして、はじめて100ドルを超える小売価格がつけられたという、歴史をつくったワインである。リトライのハーシュもまた、ソノマ・コースト地区を世界のピノ好きの地図にのせた偉大な銘柄で、25年の熟成を経た1995が、美しく熟成しているというのは「やっぱりか!」と思う。なかなか、それだけ年数のたったボトルを目にする機会がないのが、悔しくて仕方がない。

リトライが造るハーシュ・ヴィンヤーズのピノ、残念ながら日本市場への輸入が数年前に止まってしまったのだが、見つけたら即買いし、飲まずに10年、20年と置いておくことをオススメしたい。

 

テッド・レモン
Ted Lemon

リトライのオーナー兼栽培醸造責任者。フランス、ディジョン大学で醸造学を修め、ブルゴーニュの名門ドメーヌの数々で修行したのち、ムルソーの御三家のひとつ、ギ・ルーロの栽培醸造責任者に24歳で就任。その後カリフォルニアに戻り、ナパで8年働いたあと、1993年に妻のハイディ(写真右)とともに、ソノマ郡でリトライを設立。カリフォルニアにおけるブルゴーニュ品種の新潮流を代表する造り手で、そのワインはシャルドネ、ピノ・ノワールともに衝撃的なまでの高品質。

 

デイヴィッド・ハーシュ
David Hirsch

ハーシュ・ヴィンヤーズを創設したブドウ栽培家で、トゥルー・ソノマ・コースト地区の先駆者。ニューヨーク州の中心ブロンクスの出身で、コロンビア大学に進学するも1年でドロップアウト、ヒッピーになるためにカリフォルニア州のサンタ・クルーズ(ヒッピーのメッカの街)に移住した。服飾関係の仕事に就き、フランスに業務出張を繰り返すうちにブルゴーニュワインの魅力に開眼。1978年、現在のソノマ郡フォートロス・シーヴューAVAの中心に位置する広大な山岳地を購入し、1980年にピノ・ノワールとリースリングを植樹。2001年までは果実の全量を他ワイナリーに販売しており、リトライ、ウィリアムズ・セリエム、キスラー、ロッキオーリ、シドゥーリといった高名な造り手たちが、畑名表記ワインを世に出すことで、ハーシュの名を広めた。2002年に自社ワインの醸造・瓶詰めを開始、現在は娘のジャスミンが醸造責任者兼支配人として蔵の顔になっている。