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岩本順子 Junko Iwamoto

ドイツ在住/ ライター・翻訳家

ライター・翻訳家。ドイツ、ハンブルク在住。1999年にドイツの醸造所で研修。2013年にWSETディプロマ取得。現在ドイツの日本語新聞「ニュースダイジェスト」に「ドイツワイン・ナビゲーター」「ドイツ・ゼクト物語」を連載中。 http://www.junkoiwamoto.com

2021.02.15
column

短期連載/その5「気候変動に備えるドイツワイン ラインガウ 2」〜ドイツ・ハンブルク発 世界のワイン情報 vol.32

ラインガウ地方では、前回の記事(vol.31)でその取り組みをレポートしたシュロス・フォルラーツ醸造所のほか、ガイゼンハイム大学のブドウ栽培研究所とクロースター・エーバーバッハ醸造所がアスマンスハウゼンに所有するドメーヌにも足を運んだ。研究所では、30年後のブドウ畑の環境をシミュレートしての栽培実験が、ドメーヌでは、気候変動下のブドウ畑でいかに生物多様性(バイオダイバーシティ)を実現するかという研究が行なわれているところだった。

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© Hochschule Geisenheim University / Winfried Schönbach.


2050年ヴィンテージを先取り

ガイゼンハイム大学ブドウ栽培研究所の36ヘクタールの研究用畑では、つねに複数のプロジェクトが進行中だ。そのうちのひとつが、温暖化状況におけるブドウの生育の変化を観察するFACE(Free-Air CO2 Enrichment)と呼ばれる研究だ。日本語で「開放系大気CO2増加実験」と言い、世界各地でさまざまな植物を対象に実施されている。

気候温暖化のおもな要因はよく知られているとおり、二酸化炭素排出量の増加だ。アメリカ海洋大気庁(NOAA)が測定した、1958年以降の二酸化炭素排出量を元に立てられた予測によると、2050年の二酸化炭素排出量は現在(約410ppm)よりも20%ほど増加するそうだ。

実験用のブドウ畑には、36個の二酸化炭素排出装置が、それぞれ2メートルの高さの台の上に設置され、直径12メートルのサークル状に並んでいる。このサークルの内側が、2050年のブドウ畑の環境だ。

畑に近づくと、排出装置のノズルが開閉して、二酸化炭素が噴き出る音が聞こえる。二酸化炭素はサークル内に溜まるように、風向きに応じて自動制御で送り込まれる。隣には比較用に、二酸化炭素排出装置なしで、台だけを設置した畑がある。大掛かりな設備は3カ所に配置されている。

「開放系大気CO2増加実験(FACE)用の装置。


実験用のブドウは、ドイツでもっとも重要な品種リースリングと世界各地で広く栽培されているカベルネ・ソーヴィニヨンだ。どちらも12年に苗木が植えられ、14年から本格的な観察が始まった。蔓や葉の成長具合から、実るブドウの房や粒のサイズや重さに至るまで、微細にわたってデータがとられている。畑の環境や生態系への影響などの調査も同時に行なわれている。

これまでのデータによると、3年が経過した頃から、ブドウ樹の生物体量(バイオマス)が増えはじめ、粒がほんの少し大きくなってきているそうだ。リースリングの場合は一房当たりの粒の量が増え、収量がやや増加し、糖度も上がっているという。FACEが教えてくれるブドウの変化は、今後のクローン選びや栽培法において、大いに参考となるだろう。

気候変動研究を専門とするクラウディア・カマン博士 。
横はFACEを実施している野菜畑。
奥に見えるのが、ブドウ畑用の装置。



生物多様性を目指す
21世紀の段々畑


クロースター・エーバーバッハは250ヘクタールのブドウ畑を擁するドイツ最大の醸造所だ。ルーツはブルゴーニュのシトー会系のクレアヴォー修道院の修道士たちが1136年に設立した修道院である。ここでワインの醸造が始まったのは、1160年ごろではないかと言われている。フランス革命後の1803年にはナッサウ=ウージンゲン公爵家の所有となり、1866年の普墺戦争後はプロイセン王国の管轄となった。第二次大戦後はヘッセン州の州営醸造所、2003年に有限責任会社となり、現在に至る。

同醸造所がアスマンスハウゼンに所有するヘレンベルクと呼ばれる急斜面の畑では、シュペートブルグンダーをはじめとする赤品種が栽培されている。ラインガウ地方のおもな栽培品種はリースリングだが、アスマンスハウゼンでは古くから赤ワイン造りの伝統が継承されている。

ヘレンベルクの一区画で、BioQuis(Biodiversität durch Querterrassierung im Steillagenweinbau)と呼ばれる研究が進められている。日本語に訳すと「急傾斜畑での水平テラス栽培による生物多様性の促進」。ガイゼンハイム大学の研究所がクロースター・エーバーバッハ醸造所をはじめ、複数の醸造所の協力を得て行なっているもので、2018年にスタートした。

ドイツの急斜面のブドウ畑の多くは、斜面に沿うように縦向きにフェンスが設置されている。1950年代以降に耕地整理を行ない、効率化を試みたのだが、畑作業には依然として膨大な手間と時間がかかり、危険が伴う。土壌の侵食という問題もあり、放置される畑が増えている。一方で急斜面のブドウ畑は伝統的な景観であり、文化遺産と見做され、保護すべきだという声も高い。BioQuisは生物多様性の実現を主軸としながら、こういった諸問題も解決しようとするユニークな試みだ。

具体的には、まず急傾斜の畑を段々畑に作り変える。21世紀の段々畑は、旧来のものとは異なり、密植ではなくゆったりとしている 。収量は10%ほど減るそうだが、ブドウ樹1本あたりの収量を増やすことで、以前と同じくらいの収量は維持できる。大きな利点は小型トラクターが乗り入れでき、平地用の農耕器具が使えることだ。

BioQuisの実験畑。8月末は猛暑と乾燥で、
土手の植物の成長が滞っていた。


生物多様性の実現には、段々畑を形成する土手に、地域固有の多彩な植物を年間を通じてバランスよく配するという方策をとる。また除草には機械化を減らして羊を放牧する。栽培方向が水平なので、土壌の侵食も防止できる。BioQuis式の導入により、畑作業のコストを50%削減できるという試算もある。ただし、畑の環境や規模によってはBioQuis式が導入できない場合もある。モーゼル地方やアール地方などの岩場の多い急傾斜畑での実践はむずかしい。

アスマンスハウゼンの研究畑でも、ミクロクリマや土壌の水量の変化、ブドウの生育における異変から昆虫や植物の実態に至る細かなデータが取られている。8月に訪問したときは猛暑の影響で土手の緑化が遅れていたが、猛暑が過ぎるとさまざまな草花が咲き乱れる庭園のようなブドウ畑になるという。生物多様性を保つ畑のブドウから生まれるワインがどのようなものになるのか、今後の報告が楽しみだ。

前年のヘレンベルクの畑。地元の草花による土手の緑化がうまくいくと、
このような景観が生まれる。
©Hochschule Geiselheim University, Vera Wersebeckmann



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ブドウは植樹して3年目くらいから、少なくとも30年間は豊かな実りを約束してくれる。手入れ次第で、樹齢はさらに伸びる。ブドウ栽培には長期的視点が欠かせない。これから植樹するブドウは、FACEがシミュレートするような30年後の畑の環境に適応できるものが好ましい。ブドウ畑も、BioQuisが目指す生物多様性が活かされたものがスタンダードになっていくのかもしれない。

次回は……
ドイツワイン特有のカテゴリー、カビネットの最新情報をお届けします。

Text&Photo:Junko Iwamoto