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岩本順子 Junko Iwamoto

ドイツ在住/ ライター・翻訳家

ライター・翻訳家。ドイツ、ハンブルク在住。1999年にドイツの醸造所で研修。2013年にWSETディプロマ取得。現在ドイツの日本語新聞「ニュースダイジェスト」に「ドイツワイン・ナビゲーター」「ドイツ・ゼクト物語」を連載中。 http://www.junkoiwamoto.com

2021.03.03
column

短期連載/最終回「気候変動に備えるドイツワイン カビネット・ルネサンスの兆し」〜ドイツ・ハンブルク発 世界のワイン情報 vol.33

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©Schloss Vollrads

カビネットとはドイツワインの伝統的な等級のひとつで、果汁の糖度を基準としており、畑の格付けは問わない。収穫ブドウの糖度は70〜85エクスレ程度(地域、品種により多少のばらつきがある)、アルコール度数は7%vol.以上、シャプタリゼーションは行なわれない。

現在の主流は辛口だが、残糖があるスタイルを守りつづけている生産者もいる。しかし近年、VDP(プレディカーツワイン生産者協会)が積極的に推進するテロワールに依拠した格付けが、VDP会員以外の醸造所でも採用されるようになり、カビネットは居場所を失いつつあるかに見えた。

ところが、今回の取材を通じて、ドイツ固有の格付けであるカビネットに着目し、その唯一性と価値を再認識し、広く発信しようとしている醸造家たちがいることを知った。シリーズの終わりに、彼らのカビネットへの情熱について、ぜひ報告しておきたい。

カビネットの誕生

カビネットと呼ばれるワインは、1716年にシュロス・フォルラーツ(フォルラーツ城)で生まれた。城の醸造所では、この年からとくに優れたワインをカビネット・ケラー(Cabinet-Keller)と名付けられた、小さな特設セラーに分けて保管するようになったのである。カビネットとは、もともと小部屋、戸棚などを指す言葉だ。

1730年(1739年という説も)には、クロースター・エーバーバッハ(エーバーバッハ修道院)の醸造所にもカビネット・ケラーが設置され、同様に出来のよいワインを選別して保存するようになった。カビネット・ケラーはこうして、ドイツのワイン地域に徐々に伝播していった。

長年にわたり、カビネット・ケラーの設置はエーバーバッハ修道院の方が先だったと言われていたが、シュロス・フォルラーツのアーカイヴに保管されていた建設費の請求書が見つかり、同醸造所の方が先だったことがわかった。

当時、ワインを長期保存することは非常に困難だった。しかし18世紀初頭、シュロス・フォルラーツではいち早く二酸化硫黄が使用されるようになり、樽の衛生管理やワインの保存技術が進化した。最新技術を駆使して造りあげたワインのうち、もっとも優れたものだけがカビネット・ケラーに運ばれ、特別に保管されるようになったのだ。

カビネットは世界最古の格付け?

前醸造所ディレクター、ロワルド・ヘップさん。
©Deutsches Weininstitut



シュロス・フォルラーツ醸造所の前ディレクター、ロワルド・ヘップさんは「カビネットは世界最古の格付けと言ってもよいのではないか」と言う。それは、ポルトワインが世界に先駆けて原産地保護呼称を導入した1756年、シュロス・ヨハニスベルクでシュペートレーセが誕生した1775年よりも前だ。

1716年、シュロス・フォルラーツにカビネット・ケラーが作られたことを
証明する文書の最初のページ。
©Schloss Vollrads



「カビネットはリースリングにこそふさわしい肩書きだ。アルコール度数は11~12%vol.くらい、辛口か中辛口で、ある程度の長熟が可能。踊るように軽快で清涼感にあふれ、ピュアでクリスタルのような輝きをもつ、暑い国では造れないスタイルのワイン。重厚さと複雑さを備えたシュペートレーゼとは一線を画する。このような世界に類のないスタイルのワインを、今後いかにして維持するか、真剣に考えなければならない時が来ている」。ロワルドさんは力を込める。

ドイツ以外でカビネットを生産しているのは、私の知る限りでは、いまのところ隣国オーストリアだけだ。一方、カビネットと同じくラインガウで誕生したシュペートレーゼは、オーストリアをはじめ各地で造らており、フランス、アルザス地方やルクセンブルクにはヴァンダンジュ・タルディヴ、ニューワールドにはレイト・ハーヴェストがある。その多くはドイツとはスタイルを異にするが、名称と考え方は継承されている。

シュロス・フォルラーツ醸造所に残るカビネット・ケラー。
©Schloss Vollrads


ロックダウンが解除されれば、特定日には見学可能になる予定だ。
©Schloss Vollrads



カビネットを守り続けるために

カビネットは、長年にわたって冷涼だったドイツならではの繊細なワインだ。しかし気候変動、とくに温暖化の影響で、ドイツワインは何年も前からアルコール度数が上昇気味になっている。

「僕たちは、あらゆる知恵を総動員して、できるだけ自然に低アルコールを維持する方法を探らなければならない。シュロス・フォルラーツ醸造所が、ニューワールドの暑い気候で育てられてきた49種類のリースリング・クローンを里帰りさせ、観察しているのはそのためでもある。冷涼な国から暑い国へ運ばれたリースリングの苗が、どのような特徴をもつかを知ることは、きっと何かの手がかりになるはずだ。たとえばボトリティス・シネレアが付きにくいクローン、付かなくてもしっかりと熟し、充分な酸度を維持できるクローンを探し当てないといけない」、そうロワルドさんは続ける。果たして、未来のカビネット向けのクローンは、里帰りリースリングのコレクションの中に見つかるだろうか。

「カビネットは、ゾクゾクするほど魅力的なワインだ」。カビネットについて語り始めると、ロワルドさんは止まらなくなる。「伝統的な料理だけでなく、若い人たちが好むエキゾティックでスパイシーな料理にも最適だと思う。なかでも残糖20g/ℓくらいのリースリングのバランスのよさはもっと知られるべきだね」。

おもにモーゼル地方で見つかる、ほのかな残糖のあるカビネットは、時代を超越したワインだ。ロワルドさんは、今日的な食生活には、そのようなカビネットにチャンスがあるはずだと確信している。

カビネット・ルネサンスの幕開け

ラインヘッセン地方で2017年に産声をあげた「マキシーメ・ヘアクンフト」という醸造家組織は、グーツワイン、オルツワイン、ラーゲンワインの3段階の格付けを基本とする高品質のワイン造りを推進している。この組織にはVDPの会員醸造所も名を連ねており、ワインの価値基準を糖度ではなくテロワールに置くというVDPの理念が共有されている。VDPの格付けは4段階だが、VDPラインヘッセンと「マキシーメ・ヘアクンフト」は3段階を基本とし、VDP会員醸造所では一級畑のブドウをオルツワインに使用、ラーゲンワインは特級畑に限定されている。

同地方では、シェッツェル醸造所を始めとする多くの醸造所が、カビネットを再認識し、そのステータスを向上させるという目標に向かって動き始めている。上述したように、近年のドイツワインは、温暖化の影響を大きく受けて、重厚でアルコール度数が上昇気味にあった。またVDPでは、格付けごとのワインの特徴を明確にするために、最上級のラーゲンワインが、従来のシュペートレーゼやアウスレーゼの辛口のように、力強くなりすぎる傾向にあった。しかし、ドイツワインの真価は重厚さにはないということに誰もが気付き始め、カビネットという優美なスタイルが脚光を浴びるようになっているのだ。

「僕がお手本とするのは、モーゼル地方ならJJ.プリュム醸造所、エゴン・ミュラー醸造所、マキシミン・グリューンハウス醸造所、ツィリケン醸造所など、ラインヘッセン地方ならケラー醸造所、グンダーロッホ醸造所などのカビネットなんだ」。シェッツェル醸造所のオーナー醸造家、カイ・シェッツェルさんは言う。彼が列挙したのは、いずれも世界的に名高いカビネットの名手たちだ。

カイさんは2008年頃からカビネットの醸造に力を入れ始めた。温暖化が問題化している現在、理想的なカビネットを造るためには、キメ細やかな収穫プランを立てることが必要だ。収穫期が始まると区画ごとのブドウの状態を厳密にチェックし、絶妙のタイミングで「カビネット・ハンティング」を行なっている。

カイ・シェッツェルさん。©Weingut Schätzel



彼は、3段階の格付けすべてにおいて、それぞれカビネットをリリースしている。グーツワインとオルツワイン(一級畑)はいずれも、オールベルク、ヒッピング、 ペッテンタールの3つの畑のブレンド、ラーゲンワイン(特級畑)のカビネットはペッテンタールで、オークション用のマグナムボトルだ。カビネットは6つの肩書き付きワインのうちの最下位であるため、エントリーレベルのワインだと誤解されているが、カイさんの試みは、そのような先入観を壊し、クール・クライメイトの遺産に光を当てようとしている。

左から、Riesling Kabinett, VDP.Gutswein
Niersteiner_Kabinett, VDP.Aus Ersten Lagen
Pettenthal Kabinett, VDP.Grosse Lage
©Weingut Schätzel



「カビネットはドイツにしかない繊細なスタイルだ。親しみやすさと飲みやすさにおいては、シュペートレーゼよりも優れている場合が多い。何よりもエレガントで食事に最も合わせやすい。アルコール度数は10%くらいと軽く、辛口だけでなく、30〜60g/ℓくらいの残糖を保っていてもエレガンスを失わない。僕は、フルーティな第一アロマが強調されたものではなく、長熟するカビネットを目指したい。それは入念な手仕事を必要とするユニークなスタイル、テロワールと深く繋がっているワインのスタイルだ」、そうカイさんは語る。

カイさんの話では、ラインヘッセン地方だけで、カビネット復興を目指す醸造所は50を下らないという。 最近ではカビネットを、親しみを込めて「カビ」と呼ぶことも多い。カビネットは、過去の遺物にはならず、未来においても飲み手を楽しませてくれることだろう。

Text:Junko Iwamoto