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岩本順子 Junko Iwamoto

ドイツ在住/ ライター・翻訳家

ライター・翻訳家。ドイツ、ハンブルク在住。1999年にドイツの醸造所で研修。2013年にWSETディプロマ取得。現在ドイツの日本語新聞「ニュースダイジェスト」に「ドイツワイン・ナビゲーター」「ドイツ・ゼクト物語」を連載中。 http://www.junkoiwamoto.com

2021.12.22
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大洪水に襲われたシュペートブルグンダーの理想郷 ドイツ・アール地方はいま/前編 〜ドイツ・ハンブルク発 世界のワイン情報 vol.35

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浸水したアールヴァイラー。©Christian Lipowski

7月中旬、欧州中西部は記録的な豪雨に見舞われた。河川の氾濫による未曾有の洪水災害がドイツ、ベルギー、オランダ、スイスなどを襲った。ドイツ国内では、西部のノルトライン・ヴェストファーレン(NRW)州、ラインラント・ファルツ(RLP)州の被害が甚大だった。ドイツ気象庁は「100年に一度の豪雨」とコメント、アンゲラ・メルケル前首相は、現場に出向いた際「ドイツ語にこの災害を表現できる言葉はない」と語った。

アール地方を直撃した大洪水

とりわけ7月14日から15日にかけての大洪水が多くの被災者を出した。壊滅的な打撃を受けたのが、RLP州にあるアール川流域一帯だった。10月末の情報ではドイツの死者数は184人、行方不明者は2人。うち134人がアール峡谷の洪水による犠牲者だという。自然災害では、1962年に北部ハンブルク地域を襲った高潮災害の死者数315人に次いで多い。

ライフラインの被害も甚だしく、NRW州、RLP州2州で20万人が停電の影響を受けた。地域により携帯電話網も一時不通となり、電気、ガス、水道が止まり、道路や橋、鉄道が広域にわたって破壊された。地域の復興にはおそらく何年もかかるだろう。

アール川は全長89キロメートル。このうちアルテンアールからハイマースハイムに至る約30キロメートルの下流域で、おもに赤ワインが生産されている。アールの谷は狭あいで、蛇行する川幅は狭い。平地はわずかで、背後にそびえる急勾配の斜面がブドウの栽培に利用されている。畑の標高は高いところで180メートルもある。栽培面積は約560ヘクタールと小規模だが、高品質のシュペートブルグンダー(ピノ・ノワール)やフリューブルグンダー(ピノ・マドレーヌ)の産地として知られている。スレート岩主体の土壌で栽培されるシュペートブルグンダーは世界的にも珍しい。

アール地方の年間平均降雨量は500~600ミリ程度でワイン造りには理想的だが、今年は雨が多く、1年間の降雨量の約90%が7月中旬までに降った。アール川の通常水位は70~90センチだが、アルテンアールでは14日の19時に3メートル、深夜過ぎには5メートルを突破し、計測が不可能になった。最高水位は7メートルに達したのではないかと推測されている。アール川の氾濫については14世紀からの記録が残っており、戦後は23回、洪水に見舞われているが、今回のような規模の洪水は過去に例がない。

この洪水でアール川沿い一帯は水浸しになった。もっとも被害が大きかったのはワイン産地より上流にあるシュルトという村だが、アルテンアール、マイショス、レッヒ、デルナウ、バード・ノイエンアール=アールヴァイラーなどワインとツーリズムを主産業とする村々が浸水した。アール川流域に居住する住民、約5万6000人の4分の3が被災したといわれ、崩壊した家屋は約500棟、川沿いに建つ4200棟の建築物のうち3000棟以上が破損した。

洪水直後のデルナウ。(写真提供/坂田千枝)

自社で栽培、醸造を行なう65軒の醸造所と3つの協同組合のうち、被災を免れたのは3醸造所だけだったという。住居や醸造所のほか、醸造設備や農業機械も破損したり流されたりした。木樽やタンク内の2019~20年ヴィンテージもその多くが失われた。造り手たちにとっての救いは、ブドウ畑の90%以上が無事で、場所と設備、人手の確保さえできれば21年の収穫が可能なことだった。

「アール地方洪水被害・復興支援委員会」発足

災害の4日後、ファルツ地方、ベルンハルト・コッホ醸造所の醸造責任者である坂田千枝さんから連絡があり、彼女が研修で3年間にわたって働いた、デルナウのマイヤー・ネーケル醸造所の被害がただならぬものであることを知った。同醸造所ではアール地方を牽引する卓越した造り手であり、アール地方に新風をもたらしたヴェルナー・ネーケル氏の2人の娘、マイケさんとドルテさんがワイン造りに取り組んでいる。醸造所は濁流にのまれ、樽や醸造設備のほぼすべてが瓦礫と化したという。

同じ頃、さまざまなルートから醸造所の被災情報が少しずつ入ってきた。デルナウのクロイツベルク醸造所の被害は、日本の輸入元であるヘレンベルガー・ホーフ(山野高弘社長)のインスタグラムで知った。同社は直ちに応援キャンペーンを行ない、同醸造所を支援、その後もソーシャルメディアを駆使してアクチュアルな被災地情報を伝えている。

坂田さんは、災害の10日後にはマイヤー・ネーケル醸造所が至急必要とする機材を積みこみ、仲間と日帰りで現地に向かった。ずっと連絡が取れなかったマイケさんとの再会も叶い、村の中心にある浸水したヴィノテークの清掃を手伝ったという。

彼女はその後も幾度か現地に向かい、泥をかぶったボトルの洗浄などに従事しながら、思いつく限りのドイツワイン関係者に連絡を取った。「収穫期が始まると動けなくなるので、それまでに何か支援の基盤を作りたかった」と言う。8月上旬にはオンライン・ワインサロン「ワイン買いたい新書」で、日本ではほとんど知られていなかった災害状況を報告。この回は特別に無料公開され、支援の輪が広がるきっかけになった。

ドルテさん(右端)、マイケさん(左から2人目)、ボランティアに駆けつけた坂田さん(右から2人目)、
浅野さん(左から3人目)とマインツのサッカーチーム「FC BASARA MAINZ」の選手の皆さん。

そして7月末、坂田さんはラインヘッセンの醸造家、浅野秀樹さん(HIDE‘s Wine 639)と共同で、任意団体「For AHR Project – アール地方洪水被害・復興支援委員会」を設立した。同団体はこれまでに、ドイツ在住の日本人に声をかけて現地でボランティア活動を行なうほか、日系企業に協力を呼びかけて、車や食料の寄贈を仲介したり、チャリティーワインを販売して、その売上げを義援金として寄付している。今後は日本においても活動の輪を広げていく予定だという。

https://www.facebook.com/forahrproject
https://www.hidewine-japan.com/for-ahr-project/

10月には、マイヤー・ネーケル醸造所のワインの輸入元、ディオニー(前田豊宏社長)が、醸造所とともに「マイヤー・ネーケル緊急支援プロジェクト」の名称でクラウドファンディングを開始した。(実施期間は12月29日まで)支援金は手数料を差し引いた全額がマイヤー・ネーケル醸造所に届けられる。

https://camp-fire.jp/projects/view/482719

冬季を迎えた現地にはさらなる支援が必要だ。7.14を忘れず、今後も長期的に支援を行なうことの意味は大きい。

 
Text:Junko Iwamoto